横断バッグ物語

交通戦争

「交通戦争」という言葉をご存知でしょうか?

交通事故で死亡する人が増え、まるで人と車が戦っているような社会状況を表す言葉です。1960年前後、この言葉が盛んに使われた頃にミヤハラ.,の横断バッグは誕生しました。

◆「交通戦争」の犠牲者は子どもたちでした

「交通戦争」の犠牲者は子どもたちでした

1960年前後から70年代初めは、経済が発展して暮らしが年々豊かになっていった時期でした。
ところが、それに合わせて道路には自動車があふれ、交通死亡事故が多発するようになりました。
事故には子供たちが巻き込まれることが多く社会問題となりました。まさに交通戦争の時代です。

◆黄色い小旗を持って横断歩道を渡る運動

黄色い小旗を持って横断歩道を渡る運動

当時、事故防止対策のひとつとして、横断歩道の両側に直径10センチくらいの筒が置かれ、その中に横断用の黄色い小旗が10本位入っていて、子供たちはそれを車に見えるように横にしてもって渡るというものがありました。
これはとてもよいアイデアでしたが、登下校時は人の流れが一方通行なので、先に渡る子だけが旗を持てる状態で、ほとんどの子はそれを持てないで渡っていました。

◆「親心」から生まれた横断バッグ

「親心」から生まれた横断バッグ

それを見て「これでは危ない」と感じたのが、ミヤハラ.,の初代社長の宮原敏夫でした。当時敏夫には小学校に通う長男がいましたが、家と小学校の間にある大通りを渡る長男の安全に心を痛めていたのです。
敏夫は「みんながいつも旗を持っていられるようにするには、どうしたら良いか」と考え、横に横断マークの入った黄色いバッグを考え付きました。それが「横断バッグ」の始まりでした。

横断バッグ年表

昭和25年4月 創業
昭和38年 初代社長が横断バッグ考案
試作のはじめの段階では、不織布にまず黄色を印刷しその上に横断標識を印刷。その後試作を重ね、雨にも強い塩ビレザー製での発売になります。
<発売当初の製品タイプ>
レザーA

この名前は最初からついていた名前でした。
今のような横断標識と交通安全標語のもの。

レザーB

横断標識と後ろ面に漫画がついたもの。
◆男の子用 3種(野球・飛行機・レーシングカー)
◆女の子用 3種(可愛い女の子3人)
後面に漫画なんて今では考えられません。

レザーC

STOPと後ろ面にSAFETYのプリント。
STOP・SAFETYのロゴは今見てもなかなかかっこいいです。

塩ビレザー製横断バッグ これらのタイプは多くの珠算塾さんで通塾バッグとして採用していただき、今も使っていただいています。
昭和43年 横断バッグ 塩ビレザー製マチツキタイプ(レザーAマチ) 塩ビレザー製マチツキタイプ(レザーAマチ)発売。
昭和50年 軽くて耐久性も良いナイロン製タイプ発売。
昭和58年 横断バッグ ワイドタイプ・デラックスタイプ ワイドタイプ・デラックスタイプを相次いで発売。
平成12年 ショルダータイプ発売。
平成17年暮 子供が連れ去りあったり犯罪に巻きこまれたりすることがないよう子ども自身に覚えてほしいという視点から、防犯標語「おにのいす」を考案。

これに伴い、静岡県学校生活協同組合の協力の下ポスター20000枚を作製、静岡県内の公立小学校・幼稚園・一部中学校・私立の小学校幼稚園等に配布させていただきました。
平成18年春 横断バッグおにのいすタイプ発売。
平成18年夏 絵本「おにのいす」 絵本「おにのいす」発売。

◆愛される横断バッグへ

愛される横断バッグへ

発売以降半世紀にわたり、小学校や幼稚園・保育園、塾・各種教室に通う子どもたちの交通安全・防犯に、微力ながら貢献させていただいてきたのではないかと思っています。そして今も、多くの小学生や園児の通学・通園・通塾バッグとして、使用していただいています。

ときどき、小学1年生入学時に購入していただいたものを6年生になっても使ってくれている生徒さんがいる、というようなことを耳にします。このように横断バッグを愛用して下さる皆様には、心から頭が下がる思いがします。本当にありがとうございます。

ミヤハラ.,はさらに、子どもたちの交通安全・防犯を見つめ、考え、努力して行き、愛される横断バッグであり続けたいと思います。

これからも横断バッグとミヤハラ.,をよろしくお願いいたします。

子どもたちを見守り続けて半世紀。ミヤハラ.,の黄色い安全バッグ『横断バッグ』は、品質・材質・安全性等において、皆さまのご信頼をいただいております。
子どもたちを見守り続けて半世紀。ミヤハラ.,の黄色い安全バッグ『横断バッグ』は、品質・材質・安全性等において、皆さまのご信頼をいただいております。